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2006年7月21日 (金)

人生はテトリス /テトリスノカケラ

先々週から鬼のようなスケジュールで東京中を移動しています。

携帯のスケージュール表はいまひとつで、ニュートンやクリエが懐かしい。

私のような人間は全てのスケジューリングや移動を自分や公共の乗り物に頼っています。

こういった時間は、パソコンを広げる事ができません。

そのため、細切れの時間に、AUの100円でダウンロードしたテトリスをやることにしています。

私はテトリスをやりながら人生を考えています。

テトリスは、いろいろな形の図形が舞い降りてきます。

やり始めると判るのですが、自分で作った下の図形が降ってくるものと上手く合致すると、粉雪のように消えて行きます。

私はこれまでの人生を考え、テトリスを考えます。

どんなに、このラインを消したいと思っても消えない。

逆に、どうして、こんな風に上手くいくの?と思う消え方の事もあります。

上手く行くときにはずっと上手く行く。

ダメだとどんどん積みあがってゲームオーバーです。

いま、私は上からテトリスの駒として舞い降りてきている気もします。

「上手く消えるように、準備されているように・・・」と良い風が吹くように願う事しかできない。

自分がどのように回転するかも、ゲーマーの手にゆだねられていて、いったん落ち始めてしまうと、駒は変形する事も自分で回転する力も無い。

駒が発信する主体は、唯一つ、『そのものが持つ色彩と形』だけです。

私と言う形。

見えざる社会と言うゲーマーの手で回される駒。

同時に、私は様々なものが上手く行くように駒を廻す主体でもあります。

今週も多くの方々にお会いしました。

なぜか、今日森の向こうの夜空を見上げて見えた六本木ヒルズビルは、夜の空に進むヨットの帆のように見えて、無数の人が暮らす東京の夜を思い感無量でした。

辛い事の連続であっても、一つずつ前に進むしかないのです。

今日、とても立派な人からとても良いお話を聞きました。

ダイバーと船が離れてしまって、危うく遭難しそうだった、ドリフトダイビングの話です。

「あのダイビングって、ダイバーと船、どっちが悪いんでしょう?」

「なんていっても船だね。見失っちゃダメだし、見失わないシステムにしなくっちゃ。」
そして彼は続けました。

「大昔のNAUI免許を持っている僕らは砂地にブレードを立てて、海底を這って自分で活路をひらけるから全然大丈夫さ。

ダイバーもいろいろ居るからね。

PADIなんて免許じゃないよ。海流に逆らって泳げないでしょ。

僕らは、根魚とおなじで、ブレードを両手に持って、その力だけで海底をずっと這っていけるから。好きな方向へ進めるんだ。

岩礁が見えたらしめたもんだよ。見失ってしまった船を何時間も待って、手を振って迎えに来てもらったこともあったよ。

もぐっていた僕らが岩の上で手を振っていて、船長は目を丸くしていたよ。

『お前らもぐりにいったんじゃないのか』ってね。

その時には、人間は丘の上の生き物なんだって、実感したね。」


「そうですか。僕なんか、何のスポーツもする時間もなく、毎日病院に閉じこもっていて、岩礁にじっとして居る根魚みたいですよね。

どっちかって言うと。」


「そうだね、君は太目のアナゴっていったところかな。」

といって御互い大笑いしてしまいました。

私はアナゴでも、東京の底でブレードをたてて一歩ずつ這っうことしかできない魚なんだなと思いました。


他に、何の方法も見当たらない。

自分で、今居る足元にブレードを刺し、次に手の届くところにもう片方のブレードを刺し、体を引き寄せる。

その小さな一歩の繰り返しを繰り返すだけです。

上から見ると、決して真っ直ぐでは無いでしょうし、グルグル回っているだけかもしれない。

もっと遠くから見ると、動いていないようにしか見えないでしょう。

それでも、私は、決して高層ビルの上のような、地面から離れた暮らしは、安心できなくて、呼吸できなくて、生きていけない魚なのだと思っています。

すばやく前進する方法を持っていない。

人によっては、海流を逆手にとって、渦を作り、推進力を持つ方法を得ている人が居るかもしれません。

私にとってはレジスタントな海流も彼らには、ジェネレーターになるわけです。

うらやましいけれど、仕方ありません。

自分はいつも沢山の人いきれの濃い底に居る魚なんだと思いました。

海流がどう流れていても這っていけば、空気のある陸地に行ける。

そしていつかはまた海に還り、海底にブレードを立てて進む。

がんばろうと思いました。

charenged(チャレンジド)という言葉があります。

人生から試練に挑戦を続けている人、と言う意味です。

障碍を持った方に用いられる事がありますが、人はみなどのような特性を持っていても、charengedな存在だと思っています。

何ら変らない。

効率よい方法を思いつく人もいれば、私のような根魚系の人もいる。

自分で、良いブレードを手入れして進めばよいだけです。


私の命は、海流の中を流れる、透明な水晶のような、キュービックなテトリスのかけらだと思うこともあります。

 

寿命が来て、収まるところに収まり、別なかけらがやってきて、澄んだ音と共に海の蒼に消える。

一部分、岩礁に残っていくかけらもある。

そのかけらは、他の人の良い人生の御手伝いになるかもしれない。

私の一部分ですが、私の手を離れた海流次第のものです。

他の方の結晶も同じ。

私の一部分にはまり、私の一部分が消えるかもしれない。

あるいは、育って大きな結晶になるかもしれない。

海流も、どんな反応が起きるか、目的を持って流れているわけではない。

全ては自然の御意の元に行われる透明な反応です。


人生は、様々な色の水晶のかけらが透明な海流を流れるテトリスです。

(テトリスノカケラ)

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