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2011年10月28日 (金)

質素に足元を / 失われた自由 / その後を考える

自分たちの健康を
自分たちで決められたころが
懐かしく思い出される事になることでしょう。

かがり火が消えて迷いが出た時、
とっさに「足元をきちんと確かめましょう」と
答えた故事があります。

立ち止まって判断することも
賢明な智慧です。
立ち止まったり、
自分のペースで一歩ずつ進むことは、
人に非難されるような物事ではなかったのです。

地震で甚大な被害も被りました。
弱っている今は、本当は、じっとしている時だとおもいます。
判断が遅い、
そういった国民性でもよかったのです。

ゆっくりな人が、
ゆっくり歩くという、
本当はそれだけのことだったのだと思います。

日本の国のことを想うことは、
日本に住む人にしかできない。

つらい嵐がさらにやってくるでしょう。
靴で畳の上を歩かれるような気持ちもするでしょう。
そのときの覚悟をしておくことにしましょう。

どんなにか、昔がよかったかと悔いても
何ももどりません。

仕方が無いとあきらめ、
どんなときにでも、
自分の足元を失わなければ、
質素に生きのびられるはずです。

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藤原 正彦

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今週の週刊新潮の
藤原正彦先生が『管見妄語』にて
全て看破されているとおりです。
貿易の話を通して、
国のシステムの改変の問題であることが大切です。

しかし、実はもう迷う状態ではなく、
残念な道への結論は出ているでしょう。
来月、国民への冷徹な発表があることでしょう。
その後に備えて、
心の準備をしておきましょう。

問題点は二つだけ
国民を守ってきた社会保障制度などにまで主権を障壁と考え撤廃すること
対応国に常に有利になりつづける(ラチェット)ように設計されている
それだけです。

社会保障を物を生産することと同列に扱っているのが問題なのです。
関税の撤廃や農業問題というのは煙幕。
経済を超えて社会構造の全てを
強欲グローバリズムで均一化するということ。

これまで、混合診療や株式会社参入は行われてきませんでしたが、
こんな頭ごなしの形で終焉してしまってはしようがありません。
医師会が反対していていたのはそういった理由からです。

交渉につくということは、それを批准するということです。
これからたぶん、
交渉につくという発表が高らかにおこなわれることでしょう。

障壁は自分を守るための壁でもあったのです。
お城を護る壁は相手から見れば『障壁』
自分たちから見れば『城壁』だったのです。

グランドデザイン無き思想の被害は、
ここに至れりという感じです。
粛々と受け入れるべきと考えます。

勝ち誇ったようにいろいろなものをなぎ倒して
推進する人々のひきおこす痛みは、
国民それぞれにも分かるリアルな個人の痛みに直結し、
それを受け入れ続けることになるでしょう。
一部は全部です。

胴元が全てを握っている。
日本は国際的なルールづくりは苦手です。
自分がきちんとしていれば、
救われると思っている甘さがある。

『その国のなかの社会システムを守ることが原則とされている』
そんなルール守ってくれる保証なんてありません。

どんなにアンフェアでも
胴元になることを目指す人々には勝てません。

マクロ的視点は、私達の弱点で、
ゲームとは弱点を攻めることです。
自分で自分のことを守る自由を放棄し、
競争するルールも常に相手が有利になるように
相手が決めるという未来。

これからはさらに、
約束なんてどこにも保証されていない荒波の中を
人口減少の圧力を内包しながら
生き残るというしたたかさが必要です。

よくも悪くも社会保障が温存される
人に優しい社会互助的だった私達の生活は
国際レベルといわれるところまで一度解体され、
荒波の中で自分たちではなく、他の人の手で
新自由主義の中で自己責任とされて
冷たいものに再構築されていく。

『日本が自分で選んだことでしょ』の一言の元に。

形を変えていく日本での
その後の生活を考えています。
もう、道筋はついてしまいました。

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