死というもの
外科医が呼吸器をはずしたという事件は最初ショッキングな見方で報道されました。
『不審死』と言う言葉まで踊っています。
嘱託殺人、殺人と言う恐ろしい言葉まで使われています。
患者さんも家族も望まないのに、密室で医師が単独で呼吸器を停止したという印象を与えるものです。
その時点で、私は、もっと多角的に考える必要性を訴えました。
外科医の先生が真摯に質問に答えていたからです。
院長先生にも相談している。院内のオープンな問題として提議している。
さらに、彼はとてもまじめな先生だったというお話も伝えられています。
本日の報道で、決して密室でもなく、ご家族やご本人の意思を尊重して医師に依頼したものだった事が明らかになりました。
決して『不審死』では無かった。
ご家族やスタッフが御部屋にいて、しかも依頼されたものだったのです。
法が整備されていない状況で医師は自分の責任でその依頼に応えてしまったと言う点が問題です。
寿命や、死と言うものを皆で一緒に考えていく必要があります。
無理な延命治療の手段を次から次へ注ぎ込むことへ安易に流れやすい。
これらの問題は、医療設備の整った世界共通の問題です。
私の所属するアメリカ内科専門医会でも、その苦悩や方法について論議されています。
END of LIFE CARE : EOL という言葉が使われています。
これは、日本語訳の終末期医療よりも、終末期のケアという言葉がしっくり来ます。
ケアと言う言葉が使われているところにそのニュアンスが含まれていると思います。