俳句界
師事している冬男先生が俳句界という雑誌載り、献本いただきました。
先週、産経新聞にも掲載されていただけでもすごいのに・・・
俳句界 2006年 04月号 [雑誌] | |
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その後に上野千鶴子さんと佐高信さんの対談が続いています。
素晴らしいことです。
乾坤の一滴となり裸なり (宇咲冬男)
この無駄の無い美しい言葉の結晶が冬男先生の魅力です。
『あした』には、私の大好きな三枝正子さんが冬男の句の鑑賞文を寄稿しています。
三枝さんは角川書店からも句集を出されているプロです。
秋光の断崖すべり落ちて海 (宇咲冬男)
断崖の先端は空を突き刺すかのように尖る。
地球の最果ての地がイメージとして浮かぶ。
つるべ落としの太陽は、断崖の凸凹をゆっくり滑り、すべり、加速して入水。
私は少女期『アラン』という映画を見た。アイルランドの最果ての木も生えない岩の孤島に住む人たちの見事に美しい映画だった。
白黒の画面は、怒涛の響と風と鳥の叫びだけ。
(中略)
太陽はすべり落ちても翌日は昇る。
人間は入水してそのまま。
この句は、写生句に見えても人生を詠んだ句である。
山口誓子の名句
海へ出て木枯らし帰るところなし
を思い起こさせる句である。
『落ちて海』の表現は無常をあらわす。(三枝正子:あした三月号42P)
美しい文章です。
私は、詩のココロが何よりも人に必要だと思っています。
詩的な物を全てそぎ落としてしまったら、医療は殺伐なものとなってしまうでしょう。
名医といわれる人やその人々の言葉は、独特のリズムと包み込むような暖かさが出ています。
その存在を、適切に表現するならば、『詩』と表わすのが一番だと思っています。
荒波にもまれたスコッチウイスキーの香りのようなもの。
詩というのは人にとって欠かせないもので、それを謳い続ける人々は、社会において必須の存在であるのです。
ですから、詩人はそれを生業とすることができるのです。
中途半端でないエッジが立つ仕事。
先日の名刹での欧州日本俳句会議を記念碑のお祝いの日、午後から雨が降り出しました。
列席できなかった、ドイツの生花のERICA師匠さんを悼むような雨でした。
春時雨反転したる歌碑の彩
はるしぐれ はんてんしたる かひのあや (大和田優仁)
涙のように落ちる春時雨のあまつぶ一粒一粒に、歌碑に添えられた花々が反転して写っているところを詠みました。
映画マトリクスのように人間の眼は実際はこのような光景を切り取る事はできません。
でも、心に降りつづく雨はゆっくりで、その中に反転する美しい風景を見ることができます。
また、春時雨により、お祝いの華やかな花は反転し、亡き友への弔いの悲しみの花になります。
騒がしさの中では、人は、孤独を感じる事が多い生き物です。
私は、この美しい風景を実際に眼にする事ができなかった、いま会うことができなくなってしまった方々の心とともに歩んでいくのだと思っています。
あせらず、そぎ落とし、磨きぬき、結晶化させ良いものを作らなくてはいけません。
そして、無常の命である私がいなくなった後も、小さくても美しい波紋が人々に受け継がれていく。
そうできたら素晴らしいと思っています。
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