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2006年9月21日 (木)

研修医の頃の辛さと思い出

今夜はブギーバックがKREVAにカバーされていました。

とてもよい、カバーです。

Have a nice day! Have a nice day!
KREVA K.OZAWA M.KOSHIMA

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この曲は、武蔵野日赤病院時代、当直明けの日勤後みんなで飲みに行った帰り、カラオケで繰り返し朝まで歌った曲です。

電話で呼び出しをしまくって、ストレスフルな人々がひとり、ひとり仕事を終えて、よく集まってきたものです。

静かにあけてくる武蔵境の街の様子を思い浮かべながら、一緒に救急医療に明け暮れた仲間達と夜中中、歌い続けました。

壊れたレコードのように、僕らはうたい続けました。

いろいろなことがありすぎて、歌い続けなければ生きていけなかった。

歌っていないとつぶされそうな感じでした。

新しい知識の勉強、新しい手技の修練、患者さんに苦痛を与えないためのスキルの訓練。

トイレの中でもなり続けるポケベルやピッチ。

皆が帰った医局の片隅の練習の台の上で、独りでいつまでもいつまでも、何回も何回も糸結びの練習をしていた頃を思い出します。

当直ベッドで横になったものの、寝れず、IVH経路になる静脈のイメージトレーニングを繰り返した日々。

挿管を先輩に頼んで挿入させてもらい続けた日々。

その後も輸液の管理、診断のためのデータの確認。

ある程度落ち着いて、交代し、暫しの休息がいただけたときに、気の合った仲間達と良くのみに行きました。

仕事の話は一切しない。

ただひたすら食い、飲み、歌うのです。

歌って、歌って、一丸になり、また働いた。

安普請で突っ伏して寝て、次はまた戦場でした。

何も無く、ひたすら、良い医療者になるためだけをめざして皆がんばっていた。

どの人も、若かった。

あの頃、たぶん僕達は、自分達の体力も含めて、限界に挑戦し続けていたのだと思います。

ビジョンを持ってがんばっている若い先生方を見ると、負けられないな と思います。

曲や匂いというものは、人をタイムマシーンに乗り込ませる力があります。

卵の黄身をつけて食べる、つくねのこげた匂いや線路の音までが蘇りました。

年取っても走り続けていけるなんて、とても良いことです。

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