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2006年10月20日 (金)

考えることの大切さ/養老孟さんの秀逸な文

養老孟さんの秀文が週刊誌に掲載されていました。

これまで近隣の心配事に対して、たくさんの立場でたくさんの方々が意見を述べられました。

その中でも、今週号の養老さんの短い文が、最も私には正解ではないかと思いました。

(本日手違いでアップされていなかった野町和嘉さんの記事を10月14日付けの記事としてアップしました。どうぞご覧ください。

多くの方々の意見はヒステリックであったり、論理的に破綻していたり、自分の立場からの発言でした。

養老さんのこの肩から力の抜けた素直な意見。

つまりは、『建前で事実を隠して、考えることを止めてしまうことが最も愚かしい』ということだけを述べているのです。

約束違反であろうと、何であろうと、今起きていることを直視して、現時的な思索をせよ と言っているのです。

具体的にどうしたらよいかについてはさらっとしか触れていません。

(さらっともふれていないかもしれない)

ですが、一番最初の一歩がなければその後もないことに気づけと啓蒙しています。

養老さんはとにかく、現実に起きていることを素直に見つめ、そこから未来や法則を演繹する『理科の心を持て』と述べています。

『軍艦が途中で荷物を降ろすはずないでしょう。』

この一言で全て片付けてしまっている。

シンプル。

いま、哲学書を易しく翻訳してくださったおかげでカントの本を少しずつ読んでいますが、内容は全く同じです。

論理的に考える力を持つこと。

テレビや報道はヒステリックに一面だけを取り上げて問題が見えなくなってしまうことが良くあります。

剥がしものの朝のワイドショーの女性コメンテーターのヒステリックなコメントの垂れ流しは国民の感情をあおるだけで建設的なものに全く欠けています。司会者二人は結構好きなのですが。

彼女は養老さんの語るところの対局にある盲目という事の代表でしょう。

対比するコメンテーターをおかず、議論なしに一方的に断罪していくコメンテーターには注意が必要です。

それを見て、『ああそうかぁ』とうなずくだけでは危険が多すぎるわけです。

幕で覆って綺麗に飾って安心することでなく、よく現実をみて多角的に物事を自分で考えること

あまり難しいことではないはずです。

それがとても大切だと気づかされる秀逸な文章でした。

この短さで、気楽さ漂わせてこの内容を書けるのは、やっぱり凄いです。

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