邦楽には曲に洞察や哲学が少ない/ JEMのTHEY/hooverphonic/普遍性を持つものに磨く力
ColdPlayのVIVA DA VIDAも良い曲でしたが、
JEMのTHEYも良い曲です。
歌詞はこちら。
誰かが作った約束事に沿って私たちは生きている。
ごめんなさい、こんな風にしか生きられない。
愚かなことに、そう分かっているのに、
「彼らが作った」ものに私たちは飛びつく。
「彼ら」はなぜ、何でも知っているの?
彼らはどこにいるの?彼らは何者なの?
無知ならば楽園にいられるの?
ごめんなさい、こんな風にしか生きられない。
といった内容です。
なかなかいい曲です。自分で考える大切さを、さりげなく歌っている。
最後に、他の人が作ったルールでケンカしている車から出された犬をなでています。
振り返って、今の邦楽のチャートをみると、
恋愛
自分を反省する
あなたを守ってあげる
身の回りの小さな出来事
何か小さなものを見つけて個人的に前進する
ただ、メロディがきれいなだけ
ばかりです。
普遍性を持つものに磨き上げる力が圧倒的に不足している。
恋愛の曲なら、Hooverphonicのエデンなんて最高です。
Did you ever think of me
As your best friend
Did I ever think of you
I'm not complaining
I never tried to feel
I never tried to feel this vibration
I never tried to reach
I never tried to reach your eden・・・
(http://www.sing365.com/music/lyric.nsf/Eden-lyrics-Hooverphonic/3613DBF690FC53AD48256A8D000CBDBE)
あなたのエデンに到達できなかった・・・
という恋愛の哀しさが解析されています。
自分の気持ちが分からない。
あなたの気持ちを理解することができない。
このビデオは、
小さなテレビの中のような肉体のなかで思考している
私達を示しています。
色々なところを移動し、他のテレビ(他の人の存在)と共感することはできる。
でも、その肉体の枠組みから飛び出したすことはできない。
そして、肉体が消失することで、その人格はなくなってしまう。
最後のシーンはその光景です。
私とあなたは全く違う人間であり、感情に共感はできるけれども、
感覚は永遠に共有できないということを哲学的に歌っています。
ある人のエデンを共有することは恋人でもできない。
哀しい諦念。
Did you ever think of me
As your best friend
Did I ever think of you
Im not complaining
Did I ever think of you
As my enemy
Did you ever think of me
Im complaining
IとYou、friendsとenemy、 complainとnot complaining
といった対立した詩がならびます。
あなたは私を慈しんでくれたかしら。
あなたのことを思うとき不満はなかった。
私はあなたを敵だと思ったことがあったかしら。
あなたは私に不満があるのかいたわってくれたかしら。
主観は常にIにあり、
Youが主語のときには予想にならざるをえない。
その予測を怠らないことが
思いやりであり、共感であり、愛となります。
こういった歌詞群を読んでしまうと、
オブラートのようなメロディ、
スイーツのような意味のない繰り返しの歌詞に疑問を感じてしまいます。
あるテレビ番組で、日本の歌の歌詞は
紋切り型と看破されていました。
形をキャッチーにして、色を塗り替える大量工業製品と何ら変わらない気がします。
操り人形が歌う、童謡の延長線上と考えても良いかもしれません。
本来、歌には魂がこもるものです。
人間を磨いて、そこからわき上がる感性を、
さらに独りよがりではない普遍性を持つ美しいものに変える力が必要です。
聴く人々に応えるように歌は紡がれます。
聴き分ける耳を磨くことも大切です。
恋愛や、個人的感想を超えた、
洞察に満ちた美しい大人の曲を歌う人は現れないのだろうか、
と思ってしまいます。
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