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2013年9月16日 (月)

NAUSICAAの示す未来 / 腐海の果ての意味 / けなげに生きる場所

きのう宮崎駿さんとエコロジストの対談を考えながら走っていました。

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宮崎 駿

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物語版のナウシカは汚染された地球を、生き物たちが「自分で」けなげに浄化していくという物語。同時に、ナウシカもセルムも完全に浄化されてしまった地では生きていけない。王蟲も地球の事を考えて怒ったりするのではなく、自分の生存が脅かされた時に「自分たちのために」怒って暴走する。結果として、地球を浄化しているに過ぎません。

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この本の後ろの方に宮崎駿さんとエコロジストの「全くかみあわない」対談が掲載されています。かみあわないまま、そのまま掲載されています。エコロジストの背景には、「節約し自然への影響を減らせば問題ない(なぜなら人間は賢い動物だから)」という思想。冷蔵庫の議論がおもしろい。自己満足。

宮崎さんはちがう。「人間は、こんなふうにしか生きられない動物なのだから、その中に未来は内包されてしまっている」という達観が見受けられます。そして、「とりあえず僕らは暮らしているのだから、元気よく精一杯生きよう。生きるに値する世の中なのだから。」とつながります。風立ちぬの、(どんな世界であっても)「生きねば」という言葉につながる。

腐海は瘴気の場でもあり、蟲使いもトルメキアも風の谷の年寄りたちも、登場人物全員がその中でしか生きられない世界でもある。その外では、誰も生きられない(厳密に言うと「楽園」のヒドラや生き物は例外)。

セルムたち森の人々は、腐海の限界の外に人を送ったものの誰も帰ってこれなかったことを知っています。楽園のヒドラも、完全に浄化された世界ではナウシカが死んでしまうことを伝える。腐海は、彼らが生きられる唯一の場。

さらにナウシカは、危ないものだとわかっていても巨神兵と共存する。毒の光を放つ、巨神兵オーマそのものは無垢なものとして描かれています。毒の光を放つウランも、美しい光を放つ水晶と等しく地球上の鉱石に過ぎません。人間の登場前から地球にある鉱石そのものには違いも罪もなく、ニュートラル。

瘴気を真菌のムシゴヤシは結晶化して、無毒化していきます。でも、完全に無毒化された限界の外側では生きていけない。人間は、瘴気ゼロの無いところでは生きられないが、濃すぎる瘴気では生きられない、といったアンビバレンツを抱え続ける。

「人間の精神も同じ。美しすぎる場所では生きられない」という思想。絵描きの彼は、腐海という物理的エリアを使って、「人間の住むことのできる精神性の限界」を示したのではないかと私は考えています。

ナウシカもセルムも腐海の真実を知ったとしても、それに従って自分の命を生きることしかできない。けれども真実を知ることは、よりよい未来を勝ち取るための軸足となります。

私は、ナウシカの物語りは、「腐海の果ての物理的限界」に「人の精神性の限界」をオーバーラップさせた見事な哲学書だと考えています。

ナウシカは、火の7日間の前の人類が残した未来である「墓地」と呼ばれるものを破壊します。当時の人間が、浄化された後の地球への贈り物を破壊する。未来の人間の素は巨神兵を使って握りつぶしてしまう。未来なのに墓地。

ナウシカはそれを憎かったからではなく、「どんな姿でも、健気に現在生きている者達の物語り、顛末(てんまつ)が未来になるべきである」という強い意志の現れからです。

そういった思想は、今、一生懸命に生きている人たち、子どもたち、自然界への愛おしさへ導く。 生き方が下手くそだったとしても、その存在が未来そのもの。誰かが作れるような簡単なものじゃない。

「天空の城ラピュタ」にも同じ思想がうかがえます。巨神兵が滅びるように、ラピュタも滅ぶ。とうに滅んでしまった昔の人間が設計した未来は、有害でしかない。「今、生きている人々が、地に足をつけて新しい未来を設計しなおして築いていくべき」と訴えます。

「人間は、自然の小さな発露にすぎない」という真実を悟りやすい日本人と、「自然は観察物としての対象物」と完全に分離している人では、話がかみあわないのも最もなことです。

エコロジストが、今ひとつ「人間の自己満足」の一線を乗り越えられなかった姿に重なります。 人間の脳のクセを超えた思想を、人間は思考することができません。宮崎さんは、そういった哲学を描きました。

自然に宿る不思議を一生懸命悟るべきか、人間が思考する哲学が自然を解き明かすと考えるべきか。私は、人間に関わらろうとそうでなかろうと、自然界を回している物理法則をニュートラルに理解する努力を積むべきだと考えています。それは、自然の発露である人間を理解することにもつながる。そして、それに寄り添って生きるべき。

彼は、これから訪れる大変な時期を、ひとびとが生きのびるための「思考の仕方」を示そうとしてくれたのではないかと思っています。日本人のアミニズムは、自然の真実を悟るポテンシャルを備えた稀有な国民です。生き延びることを願うばかりです。

彼が文筆家でなくて、絵描きさんで本当に良かった。子供から大人まで、みんなが感動してそれを共有することができます。文章で書かれたら、たとえ理解できても感動することはなかっただろうと思います。手書きの絵の力。これからも物語をつづっていかれることでしょう。

風の谷のナウシカ 豪華装幀本(下巻) 風の谷のナウシカ 豪華装幀本(下巻)
宮崎 駿

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映画バージョンは、ナウシカの思想が不滅であるという祈りをこめてあの形になったのだと思っています。物語りバージョンも映画も、思想は一つです。

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