セミの声が終わるとき / 燦と星そらに咲きみだれ冬の月
なきがらや 自らを重ね 蝉謳う
手水場(ちょうずば)に わずかに波紋 蝉や堕つ
蝉の声 樹々に染み入り 苔光る 優仁
夏の間鳴いていて、夏の終わりに最大限謳っていたセミたちが境内に亡骸となり落ちていました。
蝉の声は、自分が生きていてパートナーを見つけるためです。でも、亡骸が目立つようになったときには、同時に自分の未来を見つめて先に滅んでいった仲間たちを謳っているようにも思いました。
力尽きた蝉が鳴きながら落ちるのを見たこともあります。真夏の手水場の透明な水面に波紋が広がるように思いました。
亡骸は無駄にはならない。蟻の冬のえさとなり、一部はクマムシなどが分解し樹々にもどります。その樹々の樹液は、幼虫たちを地中で育みます。輪廻転生。達磨大師の描く円のことわりの一つ。
蝉の声は、樹々に染み入り刻み込まれ、未来のセミたちの瞳に映る。その時、過去のセミたちはいなくなったとしても。雨上がりの樹々には碧々とした苔が。彼らは蝉を見続けた証人。
私に俳句を教えてくれた冬男先生への追悼文を読み返していました。追悼句には、冬男先生の冬を入れ、先生の業績を星として讃えました。先生には、
白鳥の夜は月光の芯となる
という代表句があります。
『宇咲冬男先生が残していった光り輝く宇宙
今日は澄んだ空気に鮮やかな月光が降りそそいでいる。私は今、涙をこらえてこの文章をしたためている。約ひと月前、宇咲冬男先生の訃報に触れた日も、先生の代表句のように白鳥を輝かせんとする月光の美しい日だった。』
懐かしい。『あした』の会への文章だったため、あした、という言葉で終わらせました。
僕は訓練を重ね、ライターさんを凌駕する文章を打つことができるようになりました。取材記事を字数を変えずにリファインすると、そのまま掲載されるようになりました。すごいな、と思うライターさんは一握りしかいらっしゃいません。
筋トレと一緒で、自分への厳しさと鍛え方が足りない。今も、冴えない文章の贅肉を落として磨いて輝きを放つよう直しています。なぜライターの文章は、散文化してしまうんだろう。意識が散漫で冗長。それでいて、必要で簡潔な文章が杭打ちされていない。それが仕事でしょうに。
自分の中にコンテンツはある。蝉は落ちるまで精一杯生き続けていました。蝉に恥ずかしくない人生を。全力で一つずつ。
『宇咲冬男先生が残していった光り輝く宇宙
2013年冬 『句会 あした』
今日は澄んだ空気に鮮やかな月光が降りそそいでいる。
私は今、涙をこらえてこの文章をしたためている。約ひと月前、宇咲冬男先生の訃報に触れた日も、先生の代表句のように白鳥を輝かせんとする月光の美しい日だった。
十数年以上前のその日の大学病院の外来は急患が多くて混雑していた日だった。奥様の車椅子とともに、待ち時間が長くて途方にくれてられていたのをお共させていただいたのが、冬男先生との初めての出会いだった。
その後訪れたいくつも美しいエピソードを思い出す。ある年の夏、先生の石碑がドイツのバート・ナウハイム・シュタインフルトの薔薇博物館に建立されるのを記念して、たくさんのお弟子さんとともに俳句の旅に渡独するとのことで同行させていただいた。
マッターホルンへ向かうロープウェイの中で「大和田君、君が大事に思っているのは何かね」と突然尋ねられた。「優しさと仁なる真心です」とお答えしたところ「優仁」なる俳句のお名前を頂戴した。
それから数えきれないほどたくさんのことを教わった。先生がヨーロッパ俳句会議を主催されたのも拝見させていただいた。先生は船に乗って世界中に出ていった。大使館でのパーティーも行われた。コンピュータ使いでもあり、船の中からでさえメールで発信を続けられた。敏腕記者でいらっしゃった先生への新聞社からの信頼は大きなもので、私がコラムニストでいられるのは、宇咲先生の大きな業績のほんの小さな一しずくに過ぎない。
私は、俳句を作る時間を準備できないとたった一度だけ挫折したことがあった。その時も、先生は優しく支えてくださった。しばらく後、病室の先生をお見舞いした際にその時の非礼を詫びさせていただいた。
先生は僕の目を見ていた。無音の秋から冬に向かう病室の中で、先生の鼓動を測るモニターの音だけが刻まれていく。
「いいんだよ」と先生は布団からやつれた手を少しさしだされた。僕は握る。
「君の感性を散文にしてはいけない」とかすれた声でおっしゃられた。先生の目にも、先生の手をにぎる私の目にも涙があふれていた。最後の会話。
いつでも前向きのエネルギーだけを持っている方だった。失って初めてその大きさを知る不徳を想うたび、涙が流れる。
宇咲先生は、私の中だけでなくたくさんの人の心に宇宙、ユニバースを残されていった。世界各所に刻まれた先生の俳句も、目にする人の心に凛とした無限の宇宙を永遠に広げ続けていくことだろう。
今日も先生の石碑は異国の地の月光のもとに美しくたたずんでいる。
世界を照らす月の光が集まって輝く石碑は光の芯となり、永遠に宇宙に光を放ち続ける。そして、夜に放たれた光は、夜空の星となり僕らの上にいつまでも輝き続ける。僕らは、その銀河を見上げるだろう。今日も、あしたも。
大和田潔(優仁)
追悼句 燦と星そらに咲きみだれ冬の月』
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