重たい物を持ったり、やはり重たい特殊な溶接機械で屋根を止める仕事をされている方に、手を撮影させてもらった。僕は、彼の手が好きだ。
爪はところどころ、ハンマーでぶつけた爪床の内出血。微少出血。ある程度のお年にもかかわらず、ものすごい握力。
彼の名前は、美しい野原の名前。大きな木がひとつある、緑の草原の名前。どんなに忙しくても、僕は彼の名前が示すどこかにある野原を思い描いていたいと思う。
彼の診察のあと、いつも通り、のんびり午後の診療を続けていた。
すると、息苦しいという患者さんが、「先生に会いに来たかった」とおっしゃられてやってきた。「うーん、だってここ(のクリニック)、小さいじゃ無い」と尋ねると、「先生なら治せるとおもったから・・・。助けて」と。数年前に、酷い咳喘息でかかってからお会いしていなかった方。
「助けるよ。絶対。だけど、検査必要だし、急ぎだし、何とかする。大丈夫。心配しないで。また助けるから。絶対。」とか話しながら、診察。頸静脈の怒張は無くて、ラ音も無い。
でもいろいろ気になるところはある。挿管するほどでは無い。バイタル計測。SPO2持続してモニター。
ほぼ同時に、めまいと片麻痺の合併の患者様が、遠くからいらっしゃいました。「歩けない」と。神経所見をとって、大丈夫そうだけれども、頭の検査は必要。「大丈夫。地元の病院どこか捜します。」
どんな状況の時にも、僕はつらそうな患者さんには、「絶対助ける、手伝うから」と言ってきた。嘘つきだったこともある。最初から僕らは分かってしまうこともある。
でも、誰かが引き受けなくては、つらくてひとりぼっちの魂が救われない。それが嘘でも。
「助ける」が、「あなたの生命活動や治ろうとする力を補助する」という意味であるのなら、僕は嘘つきじゃ無かったし、今でも嘘つきじゃ無い。そもそも、人間にはそれしかできない。でも、よく考えると、やっぱり嘘つきな気がする。
真実は見つけようが無い。でも、よく考えると、やっぱり嘘つきな気がする。いったりきたりだ。
一瞬で、ベテランの看護師さんたちにも緊張が走る。どちらも急ぎだ。患者さんにそれぞれ、ひとりの看護師さんについてもらった。救急隊に渡す紙に記入も始めていて、同乗の準備もしていた。女子は真面目に突進する。一瞬で、救急外来化してしまった。
急ぎの時、無言で一番悪い病気を思い浮かべて作業を開始する。
一つずつ作業をみんなで続けた。僕は、働き者の人の手を思い出していた。「あの野原にいる」。僕は、風の吹く野原を思い浮かべて、「おちつけ、おちつけ。一個ずつだ」と呪文を唱えていた。
看護師さんにも、「急いで、ひとつずつやろう」と声をかけた。急いで作業をすすめるけれども、しっかりやる、というのは自己矛盾。医療現場は、いろいろな矛盾に満ちている作業現場だ。
僕らのクリニックは、周りの医療機関にたくさんたくさん助けられていただいてきた。病院の先生はとっても大変だから、僕らが防波堤にならないといけないといつも思ってガンバってきた。でも、こういった検査が必要な初診の患者さんたちは、しっかり検査する必要がある。
事情をそれぞれの先方の先生がたにお伝えして、情報交換。
「ここには、風邪ひいたときとかに、来てね。」「うん、うん。」そのころ、別な病院の医療連携室から連絡あり、受け入れOKとのこと。
「地元のこういった病院が受け入れてくださいました。必要なことは伝えてあります。先方は待ってくれています」というやりとり。初期治療薬が反応して具合は良くなっている。僕らはみんな、救外の経験があるから、先方の先生や看護師さんと連絡がとれる。そういったJCSみたいなものは、いつまでも共通だ。
一連のことがあって、1時間待ちの待ち時間が、3時間ぐらいに広がっていってしまった。やっとお呼びできた、1年ぶりの若者。
「大丈夫だった?」「うん、うん。」「しばらくぶりだけど、どんな状況だったの?」「ふーん、頑張ったね。どんな状況だって、生き延びればいいんだ。暮らせるなんらかの方法を見つけさえすれば、それでいいんだよ。そのとき、カッコわるくても、失敗なんて無い。過ぎ去ってしまえば、全て思い出になる。いいじゃない。それで。大きなお姉さんになってしまったけど、小さな子にあげている鉛筆あげるね」
彼女は、ちょっと迷って、ピンクのバンビの鉛筆を選んだ。こうやって、みんな卒業していく。彼女が、お母さんになれば、とってもいいお母さんになることだろう。痛みを頑張った人は、痛みが分かるようになる。
フランス語を勉強したいという若者もみえられた。他の病院でお門違いの点滴漬けになっていた。フランスに行きたい、といっていた。
「欧州では、
ソルボンヌが頂点なんだよ。フランスっていいね」と励ました。随分良くなったから、もう会えないかもしれない。通院してくださっているのは姉妹だから、オレンジのアライグマとピンクのバンビの鉛筆を渡した。
妹さんの診察日だったからお姉ちゃんは、昼寝してるといっていた。きっと草原で寝ているんだろうと思った。僕らは嵐の真っ只中だけれども。いいことだ。具合がわるくっちゃ昼寝もできない。元気なのは良いことだ。
教科書の紙を準備している方とも、お話をした。軽く丈夫にして、小さな子供でも通学の負担を減らす努力をしているとのこと。ページを持って、振り回しても切れにくい紙をつくっているとのこと。知らないところで、子供のことを考えて苦労してくれている大人がいる。
メディアは、もっと、そういう未来をつくる良い情報を扱うべきだ。後追いで横並びだったりする。自分たちで取材して、自分たちで各々が考えなくっちゃだめだ。入社試験が厳しいのは、考える能力がある人を採用するためのはずだ。
僕は、自分で取材して、自分の心を満たしてきた。
福島医大もそうだ。時間なくて、岩手で行われた学会の帰りに寄った。知りたかったら、まとめを人に聞くんじゃ無くて、自分で聞いて自分でまとめるべきだ。
暑い夏の屋根のオリンピック用の特殊接合の話や体育館の屋根の修繕だっていい話題だ。夏休みに行われる。どの患者さんも、僕が知らない世界を知っている生活者だ。素晴らしい。真面目に、実直に与えられた環境で頑張っている。
僕は、そのカケラをもらって、人知れず自分の微少出血の止血に使う。
「労作性熱中症」 の話題なんて、運動部の方が重症になりやすいなんて話題は、ほとんどなかった。学生さんを守れるかもしれなかったけれど、自分で考えないから横並びの表層なのは残念なことだ。
職員が帰って、一連のことを思い出しながら、僕は自分の手をみた。
僕の手の爪には、内出血はない。ヤワな手だ。
でも、僕にはわかる。どこからか、僕のどこからか、微少出血している。
前日に、「ここまで良くなりました」と娘さんと報告にいらしてくれた方も思い浮かべていた。いっぱいお手伝いして、良い偶然も重なって、彼は大手術を乗り越えた。待っていたお孫さんに、「待たせちゃってゴメンね」といった、ありきたりのコトバしかかけられなかった。
「小さな君こそが、おじいちゃんの喜びなんだよ。励ましてあげてね」ぐらい、言えればよかった。言うべきコトバは、いつも遅刻してくる。毎日遅れる中央線快速みたいだ。
僕らのクリニックも、毎日なにかが起きる。でも、それが、僕らをチームにしている。そういったら、看護師さんたちは苦笑いしていた。そりゃそうだ。
みんなが無事に良くなる方向に向かっていることを思い浮かべていたら、両側の眼球から透明な血液を微少出血したことを、石膏ボードの穴が僅かにゆがんだことで認識した。少しだけ、医師になって人助けできてよかったかも、と思った。
透明な血液は、リノリウムの表面にわずかな湿度の上昇をもたらしたけれども、すぐに蒸散した。その水分は、やがて飾っているエアプランツとなるだろう。その砂漠の植物だって、寿命がある。彼らも、あの野原に戻っていくのだろうか。
僕らは、毎日、気づかずに何かを微少出血して、止血することを繰り返してきたんだと思う。たぶん、僕が、引き受けることに決めた日から。