週刊文春 / 新しい出発 / 「霧雨の考察」
週刊文春さんに取材記事が掲載されました。
お食事の話題、体の話題、脳の話題とお手伝いさせていただきましたが、終了。シンプルに一読者として読む側に。
伊集院さんの文春さんがやってきたのは、うれしかったなぁ。昔から好きだったから。本の紹介や、映画評論も。和田秀樹先生も書いていたし。
僕は、“こんな食品や薬が危ない”と、人に不安を抱かせて商売をする仕事は苦手だし、ターゲットにする薬品や食品が無くなるとそれでおしまいになってしまいます。
文春さんには、“日本の人は、頑張って農業や酪農畜産、漁業をしています。食品だって精魂込めてつくっている人がおおいです。
そういった働き者の人を、せっかく作ったものの価値を、そういったものや商品を棄損するような記事は、“焼き畑農業”とよんでいいかもしれません。
そういった働き者の人を、せっかく作ったものの価値を、そういったものや商品を棄損するような記事は、“焼き畑農業”とよんでいいかもしれません。
その時はよくても、次が無くなります。事情があって、カンフル剤として行ったとしても、傷つく人々が多すぎる。酪農新聞の方とも、漁協の方とも、農業を手伝っている広告のひととも、いろんな方ともおはなししました。
僕は、ぜひとも人々を元気づける記事を作っていってほしい。”とお話し申し上げました。
僕は、ぜひとも人々を元気づける記事を作っていってほしい。”とお話し申し上げました。
「あっちがこんなに売れている、こっちがこんなに売れている」と言われたこともありましたが、僕は首を縦に絶対にふらなかった。何かをけなすものなんて、すぐ忘れてしまうし、気分も悪いし、誤誘導や針小棒大のものもありました。人間は弱いんだから、お互い助けあうべきだとか、ひどいことも言ってしまいました。全部良い思い出です。
今回の記事は、強い外的衝撃を首に与えるのは良くないことを取材してくださいました。人体の構造をあまり理解しないと、なかなかその怖さは理解してもらえません。
昨年の国際学会で報告して、“欧州でもよくあることだけど、日本にもあるのね”とスイスやオーストラリア、アメリカの先生たちとお話しました。インドネシアの先生は、若い医師の息子さんに説明していました。
昨年の国際学会で報告して、“欧州でもよくあることだけど、日本にもあるのね”とスイスやオーストラリア、アメリカの先生たちとお話しました。インドネシアの先生は、若い医師の息子さんに説明していました。
人が人に触れて、何かをしてあげるというのはいいけれども、傷つける行為は良くない。人を傷つけないためには、人体構造を勉強しておくべきだろうし、危ないところに触れない方がいい。
時間に余裕があったので、しばらく、ずっと、雨に降られるに任せてずっと空をみていました。よく曇り空を見てみると、雲は動いている。風も吹いている。光も色も多彩です。
“ああ、僕はまためしいていた。不注意で、よく観察しないから“曇り空”にしてしまっていたんだ”ということに気づきました。
「霧雨の考察」
今週、何も持たない人々がクリニックに集合した。
ゼロからものを生み出すために。
僕は、自分を拡大することを避けてきた。飲み会の女子が、男子の自己拡大の話を嫌悪して回避するように、世の中の人だって医師の自己拡大なんて見たくも聞きたくもないだろう。
他の先生の人生に影響を与えてしまう医局長も、キャリア組のお仕事。僕みたいな雑草は、外来の苦情係がふさわしかった。そこで出会っていくつも病院を渡ってきてくださった患者さんたちも、他院へ紹介したから、今ではそこの患者さんになった。
病棟係もずっとやっていたし、外国人留学生の実験のお手伝いも続けていた。
おかげで絶対敵にまわしてはならない、おばさま看護師さんには随分たすけてもらったし、かわいがってもらった。病院を治める本当の統治者は、院長先生では無く彼女たちだ。
自分の責任で生きればいい世界を目指してノンキャリアの僕は、大学からスピンオフした。
一生懸命診療する中で、メディア側に応援してくださる方々も登場してくれた。でも、やっぱり、僕には過分なので他の先生にゆずったり、お断りしてきた。そんなじょうきょうだから、〝取材してあげる〟的なものは、いうがもがな。
一生懸命診療する中で、メディア側に応援してくださる方々も登場してくれた。でも、やっぱり、僕には過分なので他の先生にゆずったり、お断りしてきた。そんなじょうきょうだから、〝取材してあげる〟的なものは、いうがもがな。
僕は、等身大でしか生きられない。だから、テレビだって無印良品といつもの白衣と、カーディオロジーでそのまま説明してきた。サスペンデッド・ダイアフラムのマスター・カーディオロジーは、パーツを交換しながら生き延びてくれている。
新品を購入した方が良いぐらい傷だらけだが、本体はとても丈夫で救命カートの側面にぶつかると凹むぐらいだ。彼の体にはいろいろな液体や気体や実態を持たないものや映像が染みこんでいる。
大事な人から贈られたものだ。頂いた年月日とお名前を僕は、救急病院の事務にあった千枚通しで刻んでいる。彼は、いろいろなスタジオの照明に輝いてきたはずだ。収録時にひっそりと目立たないように、傍に置いていたこともある。
元GMOのシステムの人にお願いしてサイトを再構築してもらって、クリニックのサイトに「探している青い鳥はここにはいなくて、自分の身近にいます」と文章を掲載してもらった。それは、クリニック自体を〝等身大〟にするためだった。
何も持たない、クリニックに集まった人々は地衣類&藻類のようなもの。人々を引き付ける花もないし、高さもない。ちょっと日照りがつづけば、枯れてしまう。
大きな存在から見たら、次に行くために踏みつける対象にしかならない。だれかが跳躍するときに、僕らの細胞が破砕されて〝青臭い〟と忌み嫌われるかもしれない。でも、今日の霧雨をうけて、地衣類はうれしそうに彼らなりに手を空に向けていた。僕は、そっとその柔らかな手にふれてみた。
よく見ると、いくつもの地衣類が混ざっていることもわかる。
彼らは、無から有を生む力を持つ。
無音の物質を材料にして、それを栄養に水と光から有機物を編み続ける。地衣類や藻類が築いた土台の上に、背の高い植物たちが葉を伸ばし、花を付け、実をみのらせて、鳥がついばむ。
無音の物質を材料にして、それを栄養に水と光から有機物を編み続ける。地衣類や藻類が築いた土台の上に、背の高い植物たちが葉を伸ばし、花を付け、実をみのらせて、鳥がついばむ。
僕は、それを力強いと感じるし、そういった存在にしかなれない。
僕は、「やさしくしてくれたみなさま、ありがとうございました。御恩は忘れません。」と返信するのが精一杯だった。本当にそうだったから。
〝そもそも、いろいろなシステムで稼働している皆様が期待する価値が僕にはありません。素晴らしい皆様にふさわしい人間ではありません。
僕は地面をはう存在だから、また、シンプルな孤独に戻る必要があります。不確実性の未来に行こうと思います。
踏みつけられて消滅するかもしれない。でも、〝今は見えないもの〟を新しく作るためにはその作業しか無いと感じています。ごめんなさい〟
という下の句は、
その日グレー色の空に話しかけて、ひっそりと飲み込んだ。
その後、滋賀県の大学に電話をかけて、馳せ参じてくれる友軍へメッセージをおくった。必要があったからだ。
「すごいタイミングよかったんよ!」
と言ってくれた。素晴らしい。透明な歯車だ。彼女も孤独の中で、地衣類&藻類として光合成している。僕は助けるし、護り続ける。
シンプルな真実のために、装飾を自主的に失っていくという一連の行動は、ただしいのか確証はない。
5年間以上クリニックの存亡に影響するぐらい、信じられないぐらい沢山の患者さんに他院への紹介状を書きつづけてきた。患者さんのことを第一に考えてのことだった。7時間待ちなんて、普通じゃ無い。僕たちが、患者さんの人生の時間を無駄遣いするだけの存在になるなんて、耐えられないことだ。患者さんは、医療機関を支えるために存在するのでは無く、患者さんを護るために医療機関は存在する。
今では、さらに作業を加速させていて、1日に20人を越える人数の紹介状を書くこともある。クリニックの存亡を考えると、正しいかどうかはわからない。正しい指針を僕らの所でつかめば、それを続けるだけでいいはずだ。他所でもかまわない。
その状況を見聞きして僕らに、拡大路線を説くコンサルタントさんもいたけど、知り合いの友達だったけれど、お断りさせてもらった。〝機会損失が大きすぎて、もったいない〟といわれたけれども、地衣類&藻類が、灼熱の秋葉原や東京のアスファルトの上を、拡大していく姿はどうしても考えられなかった。焼かれるだけだ。
僕らは、そんな存在じゃ無い。自分たちで無から有を生む事の方が、大切だ。たとえ、それがとっても小さくても、それができるなら素晴らしい。もろくても貴重な宝石だ。フォスフォライト(フォス)のように。シンシャの様な存在でもいいかもしれない。北の砂浜で貴石になれずに、砂にしかならないものだって多い。
メディアなどのシステムが大声で叫んだり、繰り返し何かをアナウンスしても、何も生まれない。貴重な電力をつかって、消費されていくだけだ。
患者さん数ゼロから開業して何のつても広告も無く、ただ真摯に診療するだけで仲間たちと協力してやってきた。患者さんたちに愛されるようになった今の方が、開業時の孤独よりずっと恵まれている。
霧雨が御馳走な地衣類&藻類。
一嘉さんのように、僕らも、いつか、新緑の草原で矢を空に放って、勝どきをあげられるのだろうか。地衣類&藻類は、挙げる〝手〟を持たないけれど、〝グゥ〟とぐらい鳴けるかもしれない。
僕はいま、自分たちで人のためになるものを作ろうとしている。ヒッグス粒子をつかって無から有を作り出そうとしている。
手伝ってくれている東京医科歯科大所属の先生も、女性医師の目で新しいものを作り出そうとしている。僕は、それを全力で応援する。脚を衛星セブンに固定して精密射撃で、障害となる空から降ってくるガウナをひとつずつ撃ち落とそう。東大の先生の援軍も、もうすぐやってくる。彼は、今、重力放射線射出装置を準備している。脚を大地に固定中だ。
手伝ってくれている東京医科歯科大所属の先生も、女性医師の目で新しいものを作り出そうとしている。僕は、それを全力で応援する。脚を衛星セブンに固定して精密射撃で、障害となる空から降ってくるガウナをひとつずつ撃ち落とそう。東大の先生の援軍も、もうすぐやってくる。彼は、今、重力放射線射出装置を準備している。脚を大地に固定中だ。
その日のために、一人で未来へ馬を駆ることにした。人にはいつだって正解はない。変化を受け入れ、挑戦し続けられるかどうかだけだ。
無になって自分で何かを作り出す作業に集中するとき、人は、孤独だ。今日も、沢山のものが終わった。でも霧雨の中での考察は、あたたかったものを思い出させる。ここ数年で、本当に沢山の貴重なものをセブンのなかで主体的に失ってきた。カビザシのカビのように。丸腰の旧型一七式衛人(モリト)みたいなもの。
〝無から有を生む〟玄人の仲間たちが増えてきてくれたのは、とっても良いことだ。衛星の裏側で仲間が、援護射撃の準備をしてくれている振動を感じることは幸せなことだ。
009のように雑多な仲間たちで準備を続けている。夜と朝の間を、僕は星白やイワン001や003に教えてもらった北極星や風の音を目印に歩みをすすめよう。孤独で戦う決心をすることは、仲間を感じさせる。バディの鼓動と体温を感じながら。
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