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2018年8月 4日 (土)

「ドキュメント72」 / 大病院のひっこし / 看護師と女性医師

F


東邦大学大橋病院の前にある薬局をお借りして、沢山の先生方と管理栄養士さんの講師をしてきました。

臨床で働ける仲間たちを訓練する場。

もう、何年にもなります。

今日は、クリニックのスタッフが多忙から調子崩して他院へ救急でかかったり、一次医療機関の小さなクリニックなのに救急車で救急搬送されてきた患者さんもいたりして、とても忙しかった。

「先生、救急車をここで受けるとは思わなかった」という看護師さんのコトバが耳に残ります。その通りなんだけれども、その通りにいかないことも世の中は多い。

正しいことを言っている女性に、僕らはなんて応えればいいのだろう?
僕は答えられなかったから、ただ「ごめん」と返事した。解答に印刷された方程式のように、シンプルでもっといい答えが、あったのだろうか?

午前中、NHKのドキュメント72時間で「命を運ぶ 大病院の引っ越し」をやっていました。大橋病院のお引っ越し。

72時間は、とっても好きな番組です。うどんの自動販売機など、街角の何気ない人々の72時間。


統率のとれた隊列で、多くの人々が協力して移動しようとしている姿をみているだけで、心を打ちます。皆でやれば、大きな仕事ができる。

脳外科教授の「救えなかった人は、憶えているよね」で涙腺がちょっと決壊。いいお話でした。そういった光景が、医師の心と命をむしばむ一方で明日また診療をするためのエネルギーとなる。内燃機関や高速回転する車輪の熱や摩擦の矛盾のようだ。

「あの美人の女医さん、思い切りが良くて足をばっさり切ってくれたんだ」という患者さんのコトバにも同意。ザンプに行くと言っていた女学生さんを思い出して、僕は肯く。

「スタッフがこちらに移動して、病院に命が宿りましたね。きのうまで、綺麗な入れ物に過ぎなかったのに。」という看護師長さんのコトバは、素晴らしい。

「(病院に命が宿るというのは、)そういうものなんですね」と言う言葉もよかった。

ワサワサ、ザワザワ人々がいて、僕らスタッフもワサワサはたらいていて、そういった「場」が病院。そういった「場におきる現象」をやさしく観察する。

人の生き死にを見てきた看護師長が「(病院に命が宿るというのは、)そういうものなんですね」とか、「建物に病院の命がやどった」とかおっしゃっていた。彼女の直観にしたがって表出された言葉は、哲学的にも真かもしれない。

大病院の引っ越しは・・・なんて大上段に構えることもない。一方でくだらない論理を大上段に構えて、みっともない使い捨ての裸の王様となり失笑をかう男性も多い。生き物の命をよみがえらせて温かく観察して、ほほえむ師長は凛々しい。

色々あって、僕は、あまり地上波は見なくなってしまった。けれども、この番組は、しっかり最初から最後まで見てしまった。

看護師さんたちは、「生き物の気配」を感じる天才。観察して、適切な行動をとる。女性医師もいっしょ。たまに戦線離脱することがあったって、復活すればすぐに戦える。それでいいと、僕は思う。

結婚や妊娠や出産は、医師としてハンディキャップなんかじゃ無い。親になったり、家族を作ったり、社会勉強が苦手なタイプの人も学ばざるを得なくて、いい医者になるんじゃないんだろうか。

健康的な人間の作業だ。結婚して、さらに強力な助っ人となった、女性医師にも何人にもあってきた。名前を変えた人も、変えなかった人も、子供がいてもいなくても、やがて離婚したとしても。

僕は、女性医師が増えた方がいいと思う。
医師本人の努力ではできない課題は、寛容さと余白を持たせる準備で支えるべきだ。

死にたくなければ女性医師を選べ、という論文もある。

女性医師が主治医の方が、患者さんのメリットになる。

女子は、ルール厳守で、原理原則を理解して目的を達成する強靱さとしなやかさを共存させている。やけになりにくいし、折れない。強い。

彼女たちは余分なイライラ感を持ちたくないから、、自分たちの手間を省くためにも、表面上男子を優しく放置する。子供の頃から、その方法を熟知していく。それは、自分たちのためだ。その頃、僕たちはカミキリムシやサワガニと戯れていた。今も同じだ。

ペアになった(させられた)学級委員の女子と戦っていた子供の頃から、敵にはぜったいしてはいけないと思ってきた。エピソード記憶も抜群で、同時進行の並列処理も速く、それを適切なコトバで表現もできる。絶対に勝てない。

優しくないのに優しく見せられるし、強いはずなのに華奢に見せることもできる。何日も寝ていないはずなのに臭くならないし、人間のシルエットのままだ。絶対に勝てない。

一方、僕ら男性医師は、溶けた動物のラードのように体が医局のソファの形となり、ほほにソファーの縦線や網目模様が付くのはデフォルトだ。そして、自分のオリジナルの匂いをまとっていく。

僕は、体臭は、犬や馬系(実験動物のゲージ)、細菌系(納豆や酵母)、植物系(枯れ草や腐葉土)の3種類に分かれるとおもっている。たぶん、常染色体優性に従った皮脂や常在菌の影響だろう。耳垢がウエットかドライかは、匂いには関係ない。そうなった僕らは水をはじくから、防水性は増す。ヒビスクラブは優秀で、数回洗っていると、防水性は破られ、部分的に清潔な人間となる。

女性医師が多い方が、獣臭や細菌臭が減り、医局も綺麗になるに違いない。無いはずの植木の匂いがすることもない。

僕らは、どれだけカップ麺の容器が段ボールに積み上げられるかも競う。食べる前にふやけすぎた麺は、主が不在の間に机に挨拶をする。そのまま乾燥すると、机のあたらしい表層となり、虫を集める。

女性医師は、自分がしてしまったことの対外的な影響を考える力があるから、30秒ぐらいを破棄の時間に割り当てたり、食べなくてもどんぶりに移して「冷やし中華みたいでしょ」とラードと化して意識レベルが低下した僕らを励ましたりする。虫は減る。

72時間の看護師長も、高圧的では無いにもかかわらず、人々を協働作業させるオーラをまとっていた。作業に徹する人は美しい、と思う。

切れ味の良いメスの背が、ドレープの下で無影灯を鈍く反射するようだ。仕事ができる人は、いつも、こういう感じだ。すばらしい切れ味を生む刃紋は、めったに拝めない。彼らが隠しているからだ。

かつて場を支配していた美しい麻酔科医の先生を思い出していた。彼女もマスクの上の目だけで、人々を協働させていた。もちろん、僕もシモベの一人だった。

僕は今では戦線離脱して、バディが人ではなく、医療従事するインコ(マメルリハ)になった。「止血」とかいうと、風切り羽でガーゼを押さえ、クチバシをリムーバーにして抜糸したり、ステープルを外す。傷口を狙って、カジカジするのは悪い癖だ。エサは穀物だから、当直してもポップコーンの匂いしかしないので獣くさくない。

そんな今でも、僕は、彼女たちと一緒に戦い続けたいと願っている。

僕が、彼女たちが主催するバディ試験に合格さえてもらえれば、だけれども。
幸運の女神の彼女たちがいさえしてくれれば、患者さんや僕らをまもり続けてくれる。


午後の患者さんは、始まりも3時間以上遅れたし、5時間以上の待ち時間になってしまったので、希望された方に他院への移動の紹介状をたくさんつくりました。医療機関を変更した彼らには、もう会えない・・・たとえ10年以上通院されていた方でも。

「今日だけなら構わないですよ」とおっしゃってくださった方にも、秋葉原から隣駅の御徒町の病院へ移動をお願いした。品川や、金町、渋谷、虎の門に移動された方もいた。その患者さんたちには、その方がいいと思った。もっといい解答があったのだろうか?

クリニックは、たくさんの総合病院や大学病院の関連医療機関や医師を教育する指定医療機関になっている。それぞれの方々に、たくさんの資料も添えたから、異動先でも患者さんは困らないと思うし、僕らの待ち時間から解放される。

たとえ、180日処方で、180日に一回の通院だったとしても。

次世代の患者さんたちは、若い長谷川先生や山田先生、東大の先生を頼りにやってくるだろう。頼もしいことだ。

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