コーヒーを飲む非効率性の心地よさ
スターバックスリザーブで、水をくむピッチャーを購入しました。
大人の雰囲気なのがとてもよいです。
2階でクローバーでコーヒーをいれてもらいました。
生身の人間に、コーヒーは染み渡ります。
色々な豆を色々な方法で味わって、次の世代に教えて、コーヒー豆を植えて収穫して安定させて、チェーン店展開し・・・
そういった努力の結果の一杯だとおもうと、感慨ぶかいものでした。
現時点では、まだアナログ的なものがたくさん残っていることの確認にもなります。
たとえ磁力で外部からカフェインと同じ効果を脳に与えたり、水を飲んでもコーヒーのように味覚や嗅覚が刺激される世の中になったとしても、非効率的に僕はコーヒーを飲んでいたいと思いました。
King Gnuの曲には生きる面倒臭さが良く歌われています。名曲揃い。
生きるということは非効率的な側面が多々あります。
でもそこに意味があり、それがいいんじゃないだろうか、そう思っています。
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