産学一体で国民を守る必要性 / 柔軟性と未来性
こちらに、国産ワクチンの制作が遅れている理由が述べられています。
☆未知へのチャレンジに投資しない日本には基盤がなかったこと
☆日本には遅い認可制度の一種類しかなく緊急事態に対応できない
☆先行するワクチンがある場合、新規開発には新規デザインが必要
の3点だと思います。抗がん剤のドラッグ・ラグでも大昔から言われていたことです。自著でもがんセンターに取材に行って取り上げました。
☆☆☆
状況の変化に応じて素早く変化し対応する。人間はそれを繰り返すことしかできません。
国土に蔓延したウイルスの硬直した対応で終わりにするのではなく、この変化に対応することが大切です。
本来なら被害が少なく、医療体制も先進的で自国で開発した薬の候補もあったりした。全部無に帰しました。
怖がっている国民に「日本は大丈夫です。こうすればいいんです」という大木先生のような正しい行動をする方は稀有だった。医療者やメディアは、国民の不安を払拭し共に励ましあい前に進む方法を模索だってできた。
そんなことはしなかった。勝ち誇ったように、よってたかって真っ暗闇に突き落とし甚大な人災を与えた。視聴率やポールポジション争い、あるいは破壊衝動という刹那的なものと引き換えに。
今、PCR毎日でもやりたいですか?もう済んだことになっていませんか?日本においては、毎年流行していた感冒ウイルスが変異しただけで国費が倍になったのです。
未来に対して能動的な変化にチャレンジすることの放棄。日本が躍進していくことに期待薄なところが悲しい。やればできるのに。無いところか作りだす国だってあるのに。
繁栄ビジョンの欠如と破壊へのノスタルジー。ワイドショーの破滅のノスタルジーに酔ってはいけません。ハメルーンの笛。一つずつ自分で考え、自分で作らなくてはいけない。笛の吹かれる方向に盲目的に行くと滝壺ダークサイドに落ちます。
笛を吹いている人は崖できびすを返して、明日は別の笛を吹く。落ちた人だけが損するシステムです。
☆☆☆
今回、日本の医療システムは緊急用の新規の医療体制充実を行うことはありませんでした。
「大木提言」も素晴らしいし、救急診療から要望や提言がなされていました。正しいし、そうなって欲しい。そこに人々は集い始めている。
でも流行が収束し人々の興味が減ることで、緊急ベッドの一時的充実や感染症の交通整理の方法論はきっと立ち消えになる。日本では何が流行っても、もう二度と何も実現しようとはしないでしょう。僕はそう思う。新型インフル2009の時と同じ。何も作らない。
今後別のウイルスがまた流行すれば、日本では法律によって家からでれなくなってさらに経済が破壊されていくだけです。感染してしまった人は隔離され、家には石がなげこまれ、飲食店は店を閉め、マスクを2重にしてウイルスが去るまで窓から外を眺めるだけです。自らウイルスと戦おうとも対応しようともしません。
国産ワクチンにおいても、冒頭の素晴らしい意見があっても国は対応しないかもしれません。新しいウイルスのためのワクチンが外国が作って届けてくれるまで、家の中で待ち続ける。欲しいもののために言われたことに全て従う。自分では何もしない。
☆☆☆
日本が能動性を完全に失ってしまっていることには理由があります。
為政者が短期的な利益を産まないことはしないようになった、ただそれだけです。国民を守ることになったとしても、やらない。
日本の子供を増やし、日本を豊かにしていくことは計画されない。為政者にとって国民が財産であるとか、国民が増えていくことが喜ばしいこととか考えていない。
豊かになるのは、子供が大きくなる30年後だから。彼らにすぐに利益を生むものではない。さらに言えば古来から続く日本の伝統も嫌いなのかもしれない。
世界の国々は自立し自国を繁栄させることに熱心な多極化が主流となり、その路線で豊かになる道を選んで邁進しているというのに。時代遅れで周回遅の虚無。何をめざしているんだろう?自立が促されているのに繁栄のグラウンドデザインが無い。
木を植えて豊かな森を作ろうとする人は、どこにもいなくなってしまいました。
都民に不評だし、色々あるから東京にはマンボウは泳いできません。
国の中央の中に私たちを豊かに守ろうとする人々の気配だけは感じる。日本を育てていく哲学や善き意思が続きますように。きちんと官僚さんたちの中には存在しているんだろうと思う。
☆☆☆
それが日本の国家が衰退している一番の理由だと勝手に類推します。
自分が生きている間の短期的な利益誘導でなく、長期成長戦略を考えてもらえるといいのに。
そう切実に思う。豊かになるための戦略を自ら考えてアイディアを出して方向転換を語ったり議論する人がいません。
唯一開始時に「自分が責任をとる」と言い解除時に具体策を挙げた首相ぐらいです。淡々と仕事をしている。
何か提出されると批判と否定するだけ。どうでもいいことの大人の足の引っ張り合いをみていると、ダメだなと思う。冴えない。
木を植えて森になることの議論はなされない。木を伐採して伝統を破壊して自分のための熱源として消費することには熱心だ。残るのは焼畑だけだ。
☆☆☆
僕は何もできない。だから個人レベルで若者たちとものづくりに励もうと思う。
木の苗を植えることができなくても、麦や種以下の菌糸のヒトカケラぐらいなら植えることができるかもしれない。
乾いた地面に雨で消えてしまうような引っ掻き傷ぐらいだろう。
でも若者たちとものづくりをして、変化に対応しようと思う。
地面を削ったり掘ったりするくらいは、独りでもできる。ちょっと遅れてガンバるカエルの方が生存率が高いって言うじゃないか。
大木先生やシオノギの社長さんみたいに偉い人たちだって覚悟して頑張っているんだから「あきらめないで」もがいていこう。
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