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2021年9月11日 (土)

イメージの揺らぎ / 無から生まれる未来の直観 / 形を得るとなぜかなつかしい

0717aozora

今日は箸休めの役に立たない文章です。申し訳ありません。

録画していた「不滅のあなたへ」の最終回をやっと見ることができました。

ピオランかわいい。フシはピオランの外観ででなく、中身を見ていたことがわかります。

脳内の変化を表出できる言語を得たフシは青年になって旅を続ける。

哲学的。正しいものは守られます。

未来とイメージについて話ししてみます。この見える映像の感じやイメージを言語化するのは難しいけど書いてみようとおもいました。

宿題いっぱいあるのに・・・

いつもは見えるイメージが現実化した後にその理由付けばかり考えていたから、今日は逆に肉体を得る前のイメージの話。

それがAIにできない、人間の脳のもつ仕組みなんだろうとも思っています。

 

☆☆☆

未来はイメージの揺らぎの中から見えてくるものです。過去のことをマネジメントして得られる野生のカン?

フシのように、ある程度経験しないとカンは鋭くならない。だから脳内のマネジメントのひとつなんだと思う。

そういうのが優れている人が色々な仕事についていて、自分の得意なことで発信しているのかもしれない。基本的にやさしいひとなんだとおもう。やさしくなければ、放置だもの。それに少数派だからもうからないし、地位も下がる。目立ちたがりでもない。

患者さんたちを守ろうと先回りできてきたこと。

エビデンスのないものは語れない。イメージが見えても説明できない。そのはざま。終わったことは、記憶や記録になります。オカルトではなくなる。書いてもバカにされなくなる。

 

☆☆☆

この先どうしたら良いか静かにお話しする本を書いています。

僕は観察者の一つに過ぎないと思っていたけれど、逆に文章を観察してくださってきた人がいらっしゃいました。

ありがたいことです。控えめに閉じていたものも読みとってくださっていた。

イメージの狭間の悩みを普通に書いて良いと言われました。そんなことになるとは思ってもいませんでした。自由に暮らしていたから。

☆☆☆

今は、たくさんの人が一定の方向に向かって移動しています。その先に崖があるからと言って立ちはだかっても、無音で踏み潰されるだけだと思っていました。

もうすぐ進路が変更していきます。きっと。そのとき、どこへ向かえば良いか混乱しないようにすることが今やる準備だと考えています。

不安や恐怖と全く無縁の、静かな未来。丁寧に暮らす豊かな未来。

全てが開き全てが閉じ、新しい一つずつの作業をする道がそこから続いていきます。

 

☆☆☆

作業をする一つ一つが、一つ一つのかすかな音が、わずかな文字が、言葉が、呼吸の息の作業が、人間の人生そのもの。

何百年もの寿命を持つ庭石を数十年の寿命の人間が毎日磨く、床の間にリンドウを飾る、鳥と会話する、野菜の根をほうばる、お茶碗にお米を一粒も残さないで拭き取るように食べる、飾り気のない木の空間でコーヒーの香りを楽しむ。豆を自分で煎る。

欲望にまみれていつもお腹をすかせてより大きな獲物をねらって唾液をたらして徘徊する獣のような生活は続けられない。食べ散らかすものは長生きできない。ものをたくさん抱えたまま破綻します。

実は世の中の獣たちは、綺麗に獲物を食べます。食べ散らかすのは人間。

 

☆☆☆

でも人間は、気がついて次の瞬間から違う生き物に変わることもできる。

無の向こうの無限を感じられるようになる。それが人間の素晴らしいところです。大切に作業一つ一つをいつくしみながら暮らしていくのが良い生き方です。

成功者がつましい生活をするのは、それが豊かなことを知っているからです。フリーになる豊かさを知っている。雑音を消して静かにしないと、集中できない。

お金持ちの銀行マンの方へ、方丈記の話をしたこともありました。茶室も同じ。

 

☆☆☆

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いただいたお菓子の包み紙で本のカバーをつくりました。数十年ぶり。コート紙だったし、色と柄がアールヌーボー。

葛飾にあった文詳堂、(文正堂?)という本屋さんの店番手伝いしているときに、店主のおばさまに教えてもらったもの。僕は本が好きでした。店番していれば売り物の新刊読み放題でした。読んでは、そっと本棚に戻していました。もう時効。

子供の頃に物を大切にしていて得たスキルは大人になっても忘れないものです。

こういったクオリアの判別を伴う直裁的にうかぶイメージは、洞察や直観なのかもしれない。わからない。イメージが見えてくることもあれば、こうやって憶えていものの一部であることもある。

全く新しいものなのに、現れるとなつかしい。ふしぎなものです。

隣の女の子の国語の教科書が破れて悲しそうだったことがあります。教室の後ろに打ち捨てられていた鶯色の模造紙を大きい三角定規で必要な分を切り取って、カバーを作って直してあげたことも思い出しました。彼女は、カバーの上に「こくご」ってお母さんに書いてもらってしばらく使ってくれていました。なつかしい。

 

☆☆☆

何年か、何十年かあとにも、僕は紙をおってだれかのために本のカバーを作ってあげているんだろうか。

あるいは折り方を教えているんだろうか。

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