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2022年1月16日 (日)

One Flew Over the Cuckoo's Nest /  カッコーの巣の上で  / 人間がロボットにならないようにする元気な未来をめざして

Cookynest2  
「カッコーの巣の上で」という映画があります。
2年間の人災をみていると、リアル感がひしひしと満載です。
カバーはBLACKSTONE AUDIO BOOKSのオーディオブックのもの。

さいしょから日本には全体主義を引くべき危機は存在しませんでした。
もちろんウイルス疾患流行で被害はありましたが、限定的なものでした。

国家的危機になるほど致命的なウイルスでは決してありませんでした。全体主義が必要なのは国民の全体に危機がせまる国家的困難のときのみに発令されるべきものです。

コロナ感染症は、65歳以下にはほとんど被害がありませんでした。

さらに今でも米国では数十万人陽性ですから、世界的に見ても数十分の一、数百分の一であったことが継続的に観察されています。ウイルスが強毒でない上に、陽性者が少なく発症者はさらに極端に少なかったということです。

それが、どの人でも観察できた残されてきた事実です。地動説、天動説と同じです。専門家とメディアは天動説を唱えつづけました。今も唱えている。

 

☆☆☆

NOTEの追記です。

人間らしいいきいきとした正気を保つ重要性を伝える物語です。
ルネサンスの人々が伝えようとしたものでもあります。

「カッコーの巣の上で」 はマザーグースの詩からきています。

One Flew Over the Cuckoo's Nest
Vintery, mintery, cutery, corn,
Apple seed and apple thorn;
Wire, briar, limber lock,
Three geese in a flock.
One flew east,
And one flew west,
And one flew over the cuckoo's nest.

ぶどう、ミント、食器にトウキビ
りんごの種とサンザシの種 (リンゴの種とトゲトゲリンゴ)
針金、工具にガシャンと閉まるカギ
三羽のガチョウが群れにいたよ
一羽は東に、
一羽は西に。
そしてもう一羽は飛んでくよ。カッコーの巣の上を。

☆☆☆
ハンプティダンプティみたいに韻を踏んでいます。
Vintery, mintery... はよくわからないけど小さい子用のことばかも。
最初は食べ物やダイニングテーブルの上の物。
植物、金属と続きます。仲間だけど違うものが並んでいます。
三羽のガチョウはそれぞれに飛んでいきます。
東へ西へ。北や南に行かないで、カッコーの巣の上空を飛んでいきます。
方角を決めない地上の一地点の上を飛んでいくわけです。自由な方角。

カッコーCOCKOOはこんなふうにも使われます。(Bizmate Channel)
面白いですね。たぶんクークーの音がそうさせるのでしょう。

私達がクークーにならなければ、相手の手に落ちること無く自由に羽ばたける鳥であり続けられます。

☆☆☆

ガチョウはCuckooカッコウ鳥と戦ったりしないで上空を飛んでいきました。

映画でもチーフという正気の人が主人公のロボトミーをみて勇気を得ます。
精神病院の窓を破って脱出します。

この映画の奥深いところは、全員が「正気」というところです。
つまり精神病院が狂っているかというと、そうでもないところが怖いところです。真剣に狂っているのです。

入院している方もいろいろですが、混乱しているわけではありません。
職員も真面目です。病院の仕組みとルールによって合法的に手術が行われます。

正常の人をロボトミーにして自発性をうしなわせることで、他の患者さんの自発性を促す人間がいなくなることで病院の秩序が保たれていきます。
なので彼らの構造としては「正しい」ことをしているわけです。

人々を破滅させ自由な人間の社会性を破壊することを真剣にやっているのです。

専門職員が真剣に真面目に人間と社会を破壊するのです。
恐ろしさが伝わりますでしょうか。本当は、そちらが狂気(あるいは狂気を演じている)のです。

 

☆☆☆

コロナ人災で推し進められた全体主義は、全体が保たれることを目的とします。
専門家により法律改定がうながされ、憲法改正まで議論されています。

個々の私達の自由や生き生きとした生活や喜びは目的ではありません。
秩序と構造が保たれれば、目的は達成されるわけです。

人間の動物として、自律する生き物として自然に得ている権利も何もかもが失われ少数の支配する人間のための存在になってしまうところ。

そして、人々が流されてそれを自ら望んでしまったり、強制されることもある。

そんなことしなくても社会は保たれるのにもかかわらずです。
日本では、この感染症が国際的に見て非常に小さなものになることは、最初から観察された事実でした。

そこが恐ろしいところなのです。

 

☆☆☆
もし、社会の秩序ならといってロボトミー手術を希望する人が増えたらどうでしょう?

20分で終わる駅前の日帰りロボトミー手術場ができたらどうでしょう?

手術を受ければ秩序がたもたれます、と国が無料でやってくれたらどうでしょう?

自分が勝手なことをして、人にうつしてしまうかもしれないと手術を受けたらどうでしょう?

違う意見を言う人と話した人を「濃厚接触者」とよんで隔離するようになったら、あらかじめ隔離されるの嫌だから自主性を失わせるロボトミーを希望しますか?

そうやって人々が、手術場に列をなしてならんだらどうでしょう?

手術をすれば、濃厚接触しても狂気がうつらない強固な精神になるといわれたら
私達はロボトミーしたくなるのでしょうか?

いろいろな考えの人がいて、いろいろなひとがそれぞれに元気なのが正常なのです。そして、それが豊かさにつながります。

今ではロボトミーは禁止されています。(WIKI)
なぜ考案され、なぜ禁止されたのでしょう?

恐ろしいことです。

☆☆☆
Vintery, mintery, cutery, corn,
Apple seed and apple thorn;
Wire, briar, limber lock,
Three geese in a flock.
One flew east,
And one flew west,
And one flew over the cuckoo's nest.

手術しなくてはいけないという概念にとらわれると
自由に飛べない鳥になり、地上で朽ちていくことになります。

私達は三羽目のガチョウでいましょう。
心静かに動揺せず、通り過ぎていくのを自然体で待つことにしましょう。
丁寧に謙虚に日々の暮らしをしていきましょう。

全ては頭上を流れる雲や遠い海に降る雨であって、けっして私達に恐怖を与える存在ではありません。

家族を大切にしましょう。どんな考えでも良いと許容しましょう。一緒にいることのほうが考えが違うよりも大切なことです。

手術を考えると、ロボトミーを考えると、そういった感情の発露もなくなります。

自分の体と心を自分のものでおいておける自由を失わないようにしましょう。

私達の心もカラダも私達のものです。自律して社会を形成して、豊かさを享受するように生まれついています。その自由が空飛ぶ鳥のように自然に備わっています。

わたしたち国民市民は三羽目の自分の好きな空を飛ぶガチョウでいましょう。

そういられる自由を守りましょう。


追伸
若い医師の先生たちへ。
良いことと思って作業に熱中するとこのように大局から見ると有害な作業になっていることがあります。ライセンスがあっても人間は小さき存在です。仲間たちの手によって社会や文化が大きく毀損されたこの日々を覚えておくとよいでしょう。人々の健康的な生活、安寧や繁栄とは別なもののために。
謙虚に自分が未熟で間違えていることを前提にして仲間たちとディスカッションして前に進みましょう。多様性を持つ良き人々が力強い友人となります。何十年も経た私も皆様と同じです。
これから長い豊かになる新しい世界が続いていきます。
これまでのレガシーを糧にして新しい未来をつむいでいきましょう。
自分で考えて自分の未来を決めることにしましょう。総合病院や大学、看護学校でも研究室でも若い方々にそうやって伝えてきました。良き魂の医師、医療者になられることを東京の片隅で願っています。

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